中島敦『山月記・李陵』(岩波文庫)

『天才』と『凡人』を分けるものとは何でしょうか?


生まれながらに才能を持って生を受けた、つまり、「天」が「才」を与えた者のことを『天才』と呼ぶのでしょうか。


もしもそうであったなら、『天才』というものは、どれほど、ありふれたものなのだろうと思ってしまいます。

アナタだって、そして私だって、その才を受け取っているかも知れませんから。もちろん“かも知れない”という可能性の話で、また、受け取っていたとしても、それに気が付けないことはしばしば起こりうることはありますが。


『天才』と呼ばれる者の多くは、その才を発揮し、創り出した結果によってその称号を手にします。

それがゆえに、天賦の才を発揮した者が、後からそう呼ばれるようになります。おそらく、この結果を生み出す過程には、表に現れない苦悩や努力が存在し、それぞれの才を磨き、高める作業がことでしょう。だとしたら、『天才』と称される者たちは、その結果を生み出したものが「才」であると一言で一蹴されてしまうことに、違和感や苛立たしさを抱いたのではないでしょうか。気が付いた己の才を専一に磨いた結果なのですから。

そして、そのことに気が付いただけの自らを客観的に見つめ、「天」は誰彼を選んで「才」を与えているわけでないことを感じていたのではないでしょうか。

 

sangetsuki
本日紹介いたします、『山月記・李陵』(岩波文庫)の作者である中島敦は、間違いなく「才」に溢れた人でありました。この文庫本に収録される「李陵」をはじめ数々の主人公は、その作者の想いの代弁者として立ち現われ、「才」への憧憬、疑念、渇望を語ります。

隣の芝は青いというように、人の持っている才能は実に有能に、そして、自らの持っているものよりも、輝きを放っているようにうつるものです。時にはそれに憧れ、自らを疑い、醜くも妬み、自分のものにしたくなるのは、人間の常なのかもしれません。あまりにも理屈っぽく、偏屈な、しかしあまりにも人間らしい登場人物たちは、読み手である我々に、【才能とは? 人間とは?】とクエスチョンを投げかけて来ます。

実は、才能とは、心の趣く方向を指し、その方向に素直に向かうことそれ自体を指すのではないでしょうか。その無垢な情熱が、努力の源となり、歩を進め続けさせるように思われてなりません。なかばそれは、「病」の様に。その世界に没入していくのでしょう。それは、しかし実は、きっと幸せなことでしょう。

この、『山月記』を代表作とする中島敦のあまりにも人間らしい思想が、物語の形をもって我々に語り掛けるこの作品は、私の人生の研究対象として大切に読み解いていきたいと思っています。そして、ぜひ、多くの方の生きる道を照らすものであると信じておりますから、おススメさせていただきます。

 


一人ひとり、好きになるもの、大切なことは異なります。それは、なんだっていいのではないでしょうか。「それ」を好きになれることそれ自体が、尊いもので、「才」なのではないかとすら思われます。〈好きなもの〉という非科学的な、他人には時に理解できないものが、僕らそれぞれの中に、間違いなくあるのです。そのものを専一に磨くことによって得たことを、僕らは羨望の眼差しをもって『天才』と呼んでいるのかもしれません。

 

常総100km徒歩の旅には、長い年月をかけて活動するスタッフがたくさんいます。学生として参加したあと、社会人になっても事業に関わり続ける仲間たちがいます。何か、必死に追い求めるものが我々にあるのです。それが何か、それはそれぞれではありますが…私のその〈追い求めるもの〉はこれからの稿に譲るといたしましょう。

 

※「中島敦」(1909~1942)
中島敦は、昭和初期に活躍した作家である。当時不治の病であった喘息をもっており、33歳でその生涯をとじ、創作期は3年程度であった。現在、高校の教科書に処女作『山月記』が採用されており、多くの高校生に読まれている。格式高い漢文調の文章に文壇の評価は高い。